私が公私にわたってバタバタとしている間に、雪は5か月、ロメオとジュリエッタは3歳、そしてチコちゃんは7歳になりました。
7歳というとそろそろシニア。
食餌にも、気を付けてあげないといけません。
もともとこの子は少し胃腸が弱いし、気管支も弱い。
でも弱いというだけで元気ですから、少しお腹の調子が悪い時には、少々の肉と野菜とごはんでおかゆを作ってあげる程度です。
雪は最近、いつもロメオの側にいます。
ロメオとジュリエッタは午前と午後にそれぞれ2-3時間づつ外に出ますから、家で待っている雪はロメオが帰ってきたらうるさくまとわりつき、寝る時もロメオと一緒です。
ロメオは我慢強い、、、ジュリエッタは雪をスルー、、、
でも、それなりにFamilyとしてはとてもまとまってきた感じ。
みんな揃って毎日穏やかに過ごしています。
さて今日のショッキングなタイトルですが、私も少し調べうえで、私なりの意見を述べさせて頂こうと思います。
私は海外に住む人間として、他国の文化、食文化を非難しません。
自分に合わない部分は、なぜそうなのか?を調べ、理解するようにしています。
犬食文化の歴史
犬食文化の歴史は古く、例えば中国、及び朝鮮半島では、新石器時代から犬は食されていました。
この犬食文化は、地方によって食さない地方もありますし、また食する地方でも数は激減してきていますが、今も続いています。
この大陸の食文化は、多分、弥生時代に日本に入り、犬食文化はその後、近世まで続きます。
日本で犬食文化が下火になったのは徳川綱吉の「生類憐みの令」により、動物殺生を忌避するようになったことでしょう。
この当時、犬が将軍家に「お犬様」と保護されたことから、愛玩犬と変化していきます。
その他のアジア諸国での犬食文化
他のアジア諸国の中でも、ベトナムやインドネシアでは地方によって犬食文化が今も残っています。
ベトナムでは、他のアジア諸国から今も食用の犬を輸入しているようです。
オセアニア
ここで特記するべきものとして、マオリ人たちは、普段は犬を食さず、犬を神様に捧げるものとして扱っていました。
神様へ捧げるための料理として、食されていたようです。
捧げられた犬は、骨から皮まですべて利用し、命の犠牲に感謝を表していたと言われています。
また、ポリネシアでは、ヨーロッパ人が犬を連れてきて以来、彼らの食材の一部となり、食されるようになりました。
アメリカ
北アメリカでは今でも種族によっては犬は食されています。また儀式としても生け贄にされています。
中南米では、普通に食されて来たこと以外に、生け贄になっていたようです。
食用に飼育されていたいくつかの犬種は、今では他の民族にペットとして飼育されています。
ヨーロッパ
古代ギリシャやローマでは、犬はやはり食されていました。
スイスでは今も、ある山間部で犬肉を食べる習慣があります。
食べ方は、私が知る限り生ハムのようなものだったと記憶しています。
特に美味しいのは2歳までのシェパードだとか。
犬の保護施設では、犬の譲渡には食肉にされないかを特に気を付けているという事です。
フランスでは、1900年初期には犬肉店があり、犬料理の本も多数あったようです。
飢饉で食べるものが無かったからではなく、食文化だったのですね。
ドイツにもかつて同じように近年まで犬肉店が存在していました。しかし今では犬肉の売買は禁止されています。
ちょっと話がそれますが、私が40年ほど前にドイツに来た当時、朝市でウサギの肉がつるして売られていました。
その肉は足先の部分だけ、まるでソックスを穿いているように毛皮が残っています。
何のために残してあるのか聞いてみたところ、戦後の食糧が無い頃は猫の皮をはいでウサギとして売られていた事があるため、確かにウサギであるとういう証拠に足先だけは毛皮も残してあるとの説明でした。
中近東のイスラム教国では犬は不浄の物として扱われていますから、食す習慣はありません。
私の犬食文化に対する呟き
馬肉は日本で食され、ヨーロッパでも食されています。
ヨーロッパは日本に比べ乗馬が盛んですが、それでも馬肉を食します。
日本は各国から捕鯨でいつもやり玉にあがりますが、日本を叩いている人たちにはミンククジラが増え続けているという今の状況を把握し、理解している人は殆どいません。
イルカについては日本よりも、もっと殺生数の多い南米や、オセアニアなどは不問として日本だけがターゲットとなります。
しかしながら、狭い、不潔な日の当たらない檻の中で飼育される欧米の豚や牛はどうなんでしょう?
豚はとてもデリケートで賢い動物という事は皆さんご存知と思います。
特にあの子ブタの可愛さ!
国の名前は言いませんが、昔ヨーロッパのある島で頂いたローストがとても柔らかくて美味しく、肉の種類を尋ねてみたら、なんと、、、豚の胎児でした。
その島では郷土料理として食されているらしく、その島に住んでいる人たちにとってはデリカテッセンであるだけで他の感情は無い様でした。
だからといって、その(残虐ともいえる)行為を否定しようとは思いません。
ただ私は二度と食べる勇気も、願望もありません。
出来れば食べる前に教えてもらいたかった、、、。
私が言いたいのは、その国その国で歴史や文化が違うのだから、犬食を止めない限り冬季オリンピックには参加しない!などとスポーツと食文化を一緒にしてはいけないと思うのです。
ただ、対話は続けていくべきだと思います。
でもそれが喧嘩腰であってはいけない。
文化は今日、明日すぐに変わるものではありません。
自分たちの歴史や文化を振り返って、その上で他国との対話から始める事が大切なのではないでしょうか?
皆さんはどう思われますか?
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